日本と中国の人びととの友好交流などなど


by kanwu1950rizhong
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1月。
写真は大学内のスケートリンク。

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気温は-20℃~-25℃。
もう冬休みですが、雪の残る天然リンクでは、2人の学生が滑っていました。
ここは体育の授業でも使われます。

氷結した松花江(しょうかこう)を歩きました。
写真は太陽島から。
ハルビン市街を望んでいます。

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川の一画では、観光用の様々なアトラクションが行われています。
四輪駆動車、ゴムタイヤ、馬や犬のそり、…。

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氷の上に長くいると、足元から冷えてきます。
全身を防寒していますが、次第に体が震えてきます。

写真はスターリン(斯大林)公園。
背景は松花江。

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極寒の中の太極拳。
人目をまったく気にせず、自分の世界に興じる人々。
彼らはまさしく大陸人です。

ハルビンは「氷城」とも呼ばれています。
「氷の街」という意味です。
冬、街のあちこちに氷像が作られます。
写真は中央大街。

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これらの氷はすべて松花江から切り出されたもの。
採氷する人々のことが、今年もネット(新聞)で紹介されていました。
毎日夜明け前から、1つ300キロの氷の塊(かたまり)を、1日1000個切り出すという作業です。
過酷で危険な労働です。
写真は中央大街。

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切り出された氷の多くは「ハルビン氷雪大世界」に使われます。
「ハルビン氷雪大世界」は、世界的に有名なハルビンの氷祭りです。
毎年1月~2月、太陽島で行われます。

写真は兆麟(ちょうりん)公園。
ここも歴史ある氷祭りの会場です。
「冰灯艺术游园会」と呼ばれています。
公園にある3つの門は、冬、すべて氷の門に変わります。

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入場料は昼は50元、夜は150元。
夜はライトアップされます。

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夜、氷が彩色されると、おとぎのような世界に変わります。
中央大街も、夜はイルミネーションで彩られます。

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ゆっくり歩きたいところですが、夜はさらに寒く、写真を撮るとすばやく退散です。


       by トンファン





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# by kanwu1950rizhong | 2018-01-17 10:32 | Comments(0)

大学は試験週間。
1月10日まで続きます。
市内のバス料金は1元(16円)ですが、この冬、街には2元バスが多く走っています。
空調つきバスです。
しかし、出て来るのは冷気ばかり。
極寒のこの地では、空調はあまり効かないようです。

写真は2元バスから。
前方は紅博広場。
広いロータリーになっています。

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ここはかつてハルビンの中心地、街で一番の高台でした。
「聖ニコライ教会」(1900年)という、丸太作りの教会(ロシア正教)が建っていました。

ハルビンには中国の他の都市にはない特色があります。
それは、帝政ロシアによって作られた街だということです。
19世紀末、帝政ロシアによる中国東北部の鉄道建設の拠点として、この街は形成されたのです。
その遺構は現在も残り、ハルビンの貴重な観光遺産になっています。

写真は「中央大街」(ちゅうおうたいがい)。
石畳の続くこの通りには、当時のロシア風、欧風の建物が多く残されています。

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中国東北部への鉄道の開通によって、20世紀初頭、シベリア鉄道を経由し多くの人々がハルビンに移入してきました。
ロシア革命後は、革命を逃れてきた人々(白系ロシア人)。
ナチスの迫害を逃れ、ユダヤ人たちも移住してきました。
1922年、ハルビンに住む外国人は22万人にも達したと記されています。
ハルビンは国際都市として発展していきます。
移住者の中には優れた音楽家も多く、音楽の都としてハルビンの隆盛を築きます。

写真右側のバルコニーのある建物は「モデルンホテル」(马迭尔宾馆/1906年)。
ユダヤ人の経営によるホテルです。

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ホテルの前に、パネルが並べられていました。
ハルビンの歴史を紹介するものです。
1人の日本人の写真がありました。
李香蘭です。

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李香蘭は当時の満映の女優。
彼女が主演したハルビンを舞台にした映画があります。
「私の鶯(うぐいす)」(1943年)です。
まるでミュージカル映画のようで、当時のハルビンの音楽シーンが全編に描かれています。

ロシア人が鉄道沿線に街を作る時、まず建てたのは教会。
教会は彼らの生活に欠かせないものでした。
以前旅した「绥芬河」や「横道河子」にも、駅近くの小高い場所に当時の教会がありました。
ハルビンには現在、もっとも多くの教会が残されています。
写真は「ウスペンスキイ教会」(东正教圣母安息教堂/1908年)。
旧ロシア人墓地の中にあります。

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「聖ソフィア大聖堂」(創建1907年)。
ハルビンで最も有名な教会です。

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「聖イベルスキイ教会」(1908年)。
7本の塔がやっとそろいました。
この美しい塔は「私の鶯」にも一瞬登場します。
後景はハルビン北駅。

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写真は聖イベルスキイ教会の壁に貼ってある説明文。
「軍用(军用)」という語が見えます。

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帝国主義の時代、鉄道は他国を侵略し支配する手段でした。
鉄道は大量の兵士や武器、弾薬を運びます。
そして教会。
出征兵士の無事を祈り、帰還した戦死者を弔う場所でした。
聖ソフィア大聖堂も聖イベルスキイ教会も軍用教会です。
軍用という語は、そんな過去の戦争の時代を想起させるものです。

戦後、捕虜となりハルビンの牢獄につながれた日本兵の手記を読んだことがあります。
あたりに鳴り響く鐘の音で、今、朝であることがわかった…という一節がありました。
この聖イベルスキイ教会の鐘を想像させるものでした。
近くには監獄だったという古い建物も残っています。
歴史の遺物は多くの物語を蔵しています。

写真は「2018 新年音楽会」(12/29)。
大学の芸術学部の学生による音楽会です。
フィナーレの「長江之歌」の大合唱。
祖国愛を歌った歌です。

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部屋にこもることの多いこの季節、久しぶりに音楽会を楽しみました。
まもなく2018年。

新春大吉 万事如意
美梦成真 锦绣前程


       by トンファン




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# by kanwu1950rizhong | 2018-01-06 13:20 | Comments(1)

12月14日。
午前6時の気温、-25度。
もう終日、-20度台です。
写真は、松花江(しょうかこう)。

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川は全面氷結。
左はハルビン市街、右は太陽島(松花江の中州)。
上流部を望んでいます。

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対岸は太陽島。
氷の上を歩いて渡ることができます。

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松花江にかかる鉄橋。
左は「松花江鉄道大橋」(1901年)。
2014年廃線となり、現在は「中東鉄道建築群」として保存・公開されています。

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松花江の天然リンク。
氷を切る音が、心地よく伝わってきます。
中高年のスケート愛好家たち。

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ハルビン市内。
積雪があると、幹線道路の除雪作業が昼夜を問わず行われます。
凍結する前に、除雪するためです。
路面はアイスバーン。
冬の道路の横断は、私にとっては恐怖です。

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聖イーベルスキイ教会(1908年/ロシア正教)。
屋根の塔(洋葱头)が甦(よみがえ)っていました。
あと1本は、左の青いビニールシートの上に立つはずです。

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写真は大学内。
国旗掲揚(升旗)。
毎週月曜日の朝、行われます。
本物の銃剣ではありません。

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写真は、先日の「新入生歓迎の夕べ」(迎新生晚会)での一場面。
相声(xiangsheng)です。
相声とは日本の漫才。
タイトルは「智取威虎山」。
室内は暖かく、シャツ一枚で十分です。

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大学は12月下旬から1月初旬までが試験期間。
今年はこちらでの年越しです。
何枚かの年賀状を出そうと、郵便局に行きました。
日本へのハガキ料金は4.5元(=72円)。

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上のハガキの切手代は、2元+2元+0.8元(80分)=4.8元。
下のハガキは、4.2元+0.8元(80分)=5元。
切手がないと言われ、代金はまちまちです。
料金別納のシステムはないようです。
小さなハガキは切手だらけになりました。

これまで酷使してきた大きな旅行用スーツケース。
車輪の一つがとれた状態でした。
「直してくれる所、ありますか」と学生に聞きました。
「だいじょうぶです」と。
車輪は、がっちり付いて、返ってきました。
修理費用は40元(640円)。
それでも学生は高い、と言っていました。

中国の修理屋さん、小回りがききます。
日本ではこのようにはいきません。


            by トンファン




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# by kanwu1950rizhong | 2017-12-16 14:42 | Comments(2)


11月30日。
午前6時の気温、-20℃。
写真は、大学内の煙突。
石炭を焚く煙が上がっています。

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冬、一番怖いのは氷。
昨年も氷の上で思い切り滑り、体を強打しました。
写真は1年生たち。
除雪や氷を割る作業は、1年生の仕事です。

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朝の登校風景。
ハルビンは雪は少ないのですが、この日は珍しく雪でした。
マスクは暖房用。黒色のマスクはよく見かけます。

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図書館。
その日の席を予約するため、早朝、多くの学生たちが並んでいます。

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2年生「会話」の授業風景。
グループでの寸劇です。

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ガイドと観光客との会話。
「許可」「不許可」「禁止」表現の学習です。

観光客 「写真を撮ってもいいですか」
ガイド 「お客さま、すみませんが、写真はご遠慮ください」
 …
ガイド 「喫煙は、禁止となっておりますので…」

観光地や会話内容は自由です。
写真の左の男子学生は「くまモン」。
お菓子の「タバコ」も登場しています。
小道具を用いての発表、なかなか愉快です。

鑑真(がんじん)。
苦難の末、日本に渡来し戒律を伝え、日本の仏教の発展に尽くした中国唐代の僧です。
その鑑真が、2年生のテキストに出てきます。
日中の友好に尽した先駆者です。
「日中の友好交流に尽した人々」と題し、学生にスピーチをさせました。

写真の学生は「小栗旬」。
日本のドラマやアイドルは彼らには大人気です。

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彼らが挙げた両国の様々な人々。
私自身、とても勉強になりました。

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中国の現外相、王毅(おうき)氏の名も見えます。
大学時代の専攻は日本語。
同じ専攻の先輩として、親しみがあるようです。
今年(2017)は、日中国交正常化45周年。
日中共同声明(1972.9)の中国側代表者、周恩来氏。
日本の学生も知っているでしょうか。

写真は、学生の自己紹介文から。
彼女のふるさとは「巴彦淖尔(bayannaoer)」。

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「巴彦淖尔」の日本語読みは「バヤンノール」。
内モンゴル自治区の西部の都市です。
地図を見ると、バヤンノールは中国北部、黄河の屈曲部にあります。
黄河の屈曲部とは、黄河が几のような形で屈曲している地帯のこと。

この一帯は、秦・漢の時代、肥沃なオルドス高原をめぐる匈奴(遊牧民族)と漢民族(農耕民族)の争奪の舞台だったと、昔、本で読んだことがあります。
匈奴との戦いのため中国北辺の防衛にあたる兵士たち。
彼らの悲哀や悲憤を描いた詩、辺塞詩(へんさいし)。
盛唐の詩人、王昌齢の「出塞(しゅつさい)」も、その一つです。

秦時の明月 漢時の関
万里長征 人未だ還らず
但だ 龍城に 飛将をして 在らしめば
胡馬をして 陰山を 渡らしめず

「戦いはやまず、兵士は遠く遠征し、故郷に帰れる者はいない。今、漢の時代の李広のような名将がいてくれたら、敵の騎馬兵に陰山山脈を越えさせたりはしないだろうに」

詩の中の「陰山」。
黄河の屈曲部の北を東西に走る「陰山(いんざん)山脈」のことです。
山脈の向こうはモンゴル高原。
この山脈を越え、怒涛のように襲ってくる遊牧騎馬民族、匈奴(きょうど)。
長城を築き、迎え撃つ漢軍の兵士たち。…

「黄河は家から車で20分くらいです。
黄河の色は金色です。
バヤンノールには黄河の支流がたくさんあります。
陰山山脈は樹木がありません。草原です。…」

広大な中国各地から来ている学生たち。
彼らのふるさとの話を聞くのは楽しいです。

バヤンノール、このあたりにも一度行ってみたいものです。


      by トンファン




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# by kanwu1950rizhong | 2017-12-03 13:35 | Comments(1)

「一面坡(yimianpo)」。
日本語では「いちめんざか」と読むのでしょうか。
かつてのロシア東清鉄道の重要な駅の一つでした。
ハルビンから東に160キロ。
鈍行列車で2時間半ほどのところにあります。
ここを日帰りで訪れました。

写真は駅舎。

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東清鉄道(=中東鉄道)は、19世紀末、帝政ロシアが中国東北部に敷設した鉄道です。
全長距離2489.2㎞。
次の写真は当時の中国東北部の地図です。
T字を描く太い線が、東清鉄道。

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T字の交差した所が、哈爾浜(ハルビン)。
鉄道建設の拠点となる都市でした。
T字の左端には満州里、右端には绥芬河(すいふんが)という文字が見えます。
中ロ国境の駅です。
T字の下側には寛城子という文字。
現在の長春です。
「一面坡」はハルビンの右下に、かすかに読み取れます。

一面坡の駅が作られたのは、1899年。
当時の切符売り場(售票处)がまだ残されていると聞いていました。
しかし、駅員に尋ねると、もうないとの回答。
事情がよくわかりませんでした。

一面坡は鎮(町)ですが、小さな村という感じです。
100年前にはここに、鉄道建設に従事するロシア人だけで2000人以上も住んでいたということです。

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「俄罗斯(ロシア)」風の建築物は、駅の北側に多く残っていました。
住居は朽ち果てていますが、まだ健在です。

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これらの住居は主に1903年~1904年に作られたもので、現在102棟が残っているということです。

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これらの民家を見ていると、当時のロシアの伝統的な建築様式に気づきます。
基礎構造はレンガですが、外側に木材が使われているということです。
人(ひと)という字に見える木組みの屋根、窓枠や屋根の下の木彫り、装飾された煙突など、木造りの家は何か暖かさと可愛らしさを感じさせます。

立派な建物も残されていました。
写真の病院は、鉄道員たちの療養施設だったという建物(1904年)。
正面の柱が印象的です。

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正面の列柱は、古代ギリシャ神殿建築の一つ、イオニア式。
柱の頭部の渦巻き模様に特色があるようです。
帝政ロシアの宮廷文化の息吹を感じさせるものです。

建物の中に入りました。
内部は病院に改造されていますが、天井は高く広々とした感じを受けました。
2階の天井には吊り下げ式の電灯。
当時のもののようです。

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次の写真もりっぱな建物です。
鉄道員たちのアパート(公寓)だったところです。

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現在は娯楽施設ですが、この日は門は閉じられていました。
ここは戦争中、日本軍の施設として使われ、地下には拷問室(刑讯室)があったと言われています。
ロシアをさがす旅ですが、中国東北部は日本の近代史を避けては通れません。

豪壮な建築物がありました。
写真は鉄道守備隊の兵営跡です。
現在は無人です。

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ロシア東清鉄道の跡を訪ねて、これまで「満州里」「ハルビン」「横道河子」「绥芬河」などを歩いてきました。
中国鉄道は今、ものすごい勢いで高速化しています。
小さな駅や小さな街は置き去りにされてしまうかのように、全土に高速鉄道網が広がっています。
しかし、まだまだ中国鉄道は健在です。
そして、街々にはその歴史が刻まれています。

            by トンファン




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# by kanwu1950rizhong | 2017-11-12 18:10 | Comments(1)